新宿区というと、東京23区の中の1区であり都庁のある区域です。
東京23区の中では中央よりも西側に位置し、かつて東京に35区あったのが23区になったときに新宿区が誕生しました。
区内にはいくつもの町名があり、それは町名保存住民運動によって現在も残される形となっています。
新宿区における町名保存住民運動の内容についてお伝えします。
新宿区の区名の由来について
江戸幕府を開いた1603年に、日本橋から始まる五街道が誕生します。
東海道や中山道などの各道には一定の宿が設けられ、宿は伝馬を提供する場所でもありました。
甲州街道は甲府から下諏訪までの連絡路であり、日本橋から最初の宿場までの距離が長いために旅人は苦労していました。
そのような苦労を見て、名主である高松喜六などの願いを持って、日本橋から最初の宿までの間の中間点に宿場の設置を行います。
宿場は内藤氏が幕府に返上した地域に置かれ、新しい宿であるという意味合いから内藤新宿と呼ばれ、これが新宿の地名の発祥です。
旧四谷区、旧牛込区、旧淀橋区の3区が合併し、内藤新宿を元に新宿区という区名にしました。
新宿駅や新宿御苑も有名だったことから、これらも加味して新宿区と命名されます。
合併によって誕生した新宿区の区名決定は困難を極め、四谷区や早稲田区などの他の区名の候補も多数ありました。
特に牛込区は新宿区になるのに難色を示し、牛込を中心として町名を残す町名保存住民運動が盛り上がりを見せます。
新宿の住居表示と町名保存
1965年になると新宿区でも住居表示を実施し、区域の西側から順に町域を統合し住居表示を行っていきました。
それまで町名表示であったために、柏木や角筈などの町名は新宿や北新宿で統一されて番地が振り分けられました。
町名は必ずしも道路などの境と一致しておらず、わかりにくい部分があったのでこれを境界ごとに住居表示にして区名での表示にして番地で分けました。
しかし住居表示は、昔の新宿の情緒や伝統を壊す行為だとして、文化人や旧牛込や旧四谷の住民が中心となって、町名保存住民運動を開始します。
運動の甲斐あって1980年代には、町名保存の古い町名をできるだけ残し住居表示を行うことにしました。
町名保存住民運動によって、町名は存続することとなりましたが、住居表示は新宿区ではそれほど進んではいません。
保存運動の結果により、新宿区は町名の多い区となっています。
江戸時代の武家屋敷などに由来する町名が多く、90以上もの町名が残っています。
百人町や若宮町、歌舞伎町、弁天町など有名な町名も新宿にあります。
大久保や神楽坂などの町のつかない町名も新宿には存在します。
新宿区が誕生してからは、消滅した町名は21です。
まとめ
新宿区は宿場が作られた場所に誕生し、宿場の名前が区名の由来となっています。
区が誕生してからは町名を住居表示に変更していきますが、町名保存住民運動によって、旧町名の多くが残されました。
現在も江戸時代の武家屋敷などが由来の町名が新宿にあり、数多くの町名が残っています。
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